東京・羽村市にある父のアトリエの片づけに数日間を費やした。(それでも、まだ終わっていない。)
物を捨てることができない性分の父が、30年間使った濃密な空間を整理(処分)していく時間は
とても言葉にできない時間だった。
その間、口をきく気にもなれなかったし、ブログもつけられなかった。
父が観てきた展覧会のチケットの半券、愛読していた雑誌、愛用していた文房具、スケッチブック
そういった遺品を、ごみと処分する行為は、自ら父を葬る作業のようでいたたまれない。
今回の遺品整理で希望だったのは、父が描き残した絵画群だけは拾い上げて保管することだ。
父の絵をひとつひとつ壁に立てかけ眺めると、父がよみがえってくる気がする。
独特な色遣いと絵肌、部屋は整理できない男だったが、キャンバスの画面だけは
無駄なものが排除された構図がある、
馬が好きで、聖書の主題を好んだ。ダマスコの途上で回心するパウロ、良きサマリヤ人のたとえ
「宗教は嫌いだ。」が口癖だったが、絵を描く行為でしか信仰告白できない父だった。
筆や絵の具、パレットといった画材は捨てずにイタリアに送るよ。続きは僕が描くから。
10年前の今日
←今日もそこにいてくださってありがとう。
続きは僕が描くから に涙が溢れます。