先週、イタリアの首相シルヴィオ・ベルルスコーニがテレビを通じて国民に呼びかけていた。
「皆さん、株を売ったりしないほうがいいですよ。今下がっている銘柄もやがて値を戻します。」
「今はガス会社や電力会社の株なんかがお買い得です。」
「銀行はつぶれることはありません。政府が保証します。だれも1ユーロも失いません。」
僕は一国の首相が、株の売り買いに関してアドバイスをしているという事実に驚いたのだけれど
イタリアのメディアの七割をコントロールとしていると言われる首相のアナウンスは効果的だったようだ。
週明けには、イタリア国内の株価は回復し始めたようだったし、公園で会ったザンナの飼い主
アンナとベニートは「銀行は政府が守るから大丈夫だよ。」と、同じように言っていた。
僕は斜に構えている性分なのか、あえて「心配は無用です!」と大声で言われると
「それほどまでにヤバいのか。」と感じ取ってしまうのですね。
政府が金融を支え、国民を守ることができるというのは「幻想」でしょう。
と言ってしまうと、アナーキストになってしまうので、言いすぎでしょうか。
(国のために、指導者のために祈り続けることはとても大切です。)
経済には詳しくないのですが、銀行って本来、国民の預金を預かって運用するところだし
政府も同じ国民から徴収した税金を財源としているわけなのですよね。(もちろん運用する。)
でも、従来の金融システムが失われたのに、その発想は有効なのでしょうか?
と思ってしまうのです。要するに、そのお金の出所は、僕かあなたの預金か、収めた税金で、
それがどこかに消えたのだ。(どこに消えたのだろう?誰がなくしてしまったのだろう?)
そして、各国が協調して新たに注ぎ込むという数十(何百?)兆円ものお金は最終的に
誰に請求書がまわってくるのか?解らない、腑に落ちないことばかりです。
イタリアでは、マスメディアの情報を前述の理由で、そのまま鵜呑みにすることはできません。
日本ではどうなのでしょう。自分で考え、孤独な決断をすることが求められる時代を生きています。
今日もキリストの言葉を想い起しました。
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこからはいって行く者が多いのです。(マタイ7:13)
←今日も見に来てくださって感謝
長いものに巻かれる日本人と違って、自分の意見を堂々と言う民主的な雰囲気が強い欧州の中で、特に大声でまくし立てるという印象の強いイタリア人(失礼!)でも、首相やメディアの言葉に案外影響を受けやすいのだと、興味深かったです。
私もたとえ表現や態度は柔らかくても、そこに明らかにAuthority(権力者)の意図や圧力を感じると、敏感に反発を感じてしまうところがあります。最近では歳をとって丸く(!?)なったけど(笑)。
ただ、この現象、どこの世界でも人間社会なら残念ながら同じような事が起こっていると思います。
「自分の頭で考えて行動する」事と、「他者への思いやり&歩み寄り」が大切だと改めて思わされました。
でも、歩み寄っていると、時にどんどん相手のペースにはまり侵食されてしまう事もあるし、言いにくいことをはっきり言ったために、人間関係が決裂してしまう事もあるし、難しいものですよね。
いつも愛を持って行動、発言する事を心がけていても、相手によっては伝わらない事も、誤解される事もあって辛いです。
こんな時こそ神様に委ね仲介して頂くしかないのですが…。
お互いがもっと祈り合う世の中になるといいですね。
>ますみ
イタリアのことわざに「大衆は考えない。」という
言葉があります。
大勢になると、流されやすいという意味です。
おっしゃるように「理解」という名の愛が必要ですよね。
わはは、ベルちゃんおもろい。
風説の流布には該当しないんですかアンタの言動はと。
イタリア人言いたい事言う割に、いざ責任を取ろうとなると
他の偉い人任せにして、見てるだけ文句言うだけ、って
なってしまうところがあるように思います。
(文句言うだけ偉い、という考え方もありますが)
マキャベッリもそれっぽい事言ってましたら、昔からそうなんでしょう。
しかしいいんですかね、こんなにバラマキやっちゃって。
しーらねっと(ってせめて祈れ)
>MITZ
イタリア人は、言った言葉に責任を取らないケースがおおいですよね。(きっぱり!)
しかし、特定銘柄の株価について、上がる下がるなんて
RAIの電波を使って首相がいっているなんて異常です。