メティカフ宣教師のこと

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(*19.Feb.2006 at Lonodon JCF)
今回の訪英で嬉しかったことに、ロンドンの教会での
メティカフ宣教師との再会があります。
昨年の夏、ドイツではじめてお会いしたのですが、僕はそれ以前に
彼の著書、 「闇に輝くともしびを継いで 」を読み、その宣教としての生涯にうたれたのでした。
スティーブン・メティカフ宣教師は、人生の約半分にあたる三十八年間を、
宣教師として日本で過ごしました。
来日は、戦後間もない一九五二年で、その六年前まで、
中国で民間抑留者として、日本軍の収容所に入れられていたそうです。
 十八歳で終戦を迎え、解放された時の体重は、四十キロに満たなかったとのことでした。
 憎んでも憎みきれないはずの日本へ、神の愛を伝えるためにやってきた
メティカフ宣教師の人生に何が起こったのか、関心をもたずにいられません。
 メティカフさんは一九二七年、中国雲南省で生まれた。
父はイギリス人、母はオーストラリア人で、二人とも宣教師として、雲南省の山奥にある
少数民族の村で暮らしていました。
 家庭では英語を話し、外ではその民族の言語を話すという生活だったが、
七歳になるとイギリス式の教育を受けるためイェンタイという街の寄宿学校に入っていたそうです。
 しかし、一九四一年十二月八日、日本軍によるパールハーバー攻撃は
事態を決定的なものとし、翌一九四二年、メティカフさんが通っていた学校は、
生徒も教師もそっくりそのまま、日本軍の民間人収容所に入れられてしまいました。
十四歳の時だったそうです。
 メティカフさんがいた収容所の日本兵は、
皆比較的おだやかな人たちだったということでした。
食べ盛りの年頃にもかかわらず常に飢餓状態だったり、
様々な苦労があったことはもちろんですが、彼自身が、
直接暴力を受けるようなことはなかったそうです。
 
しかし、日本兵の中国人に対する振る舞いは残虐なことこの上なく、
メティカフさん自身、首を切り落とされた死体、生きたまま両目をくりぬかれ、
リヤカーに乗せられて引き回されている中国人を目撃した体験をもっておられます。
こうした見るに耐えない光景を目にしているうちに、日本人に対する憤り、
憎しみは膨れあがっていったそうです。
ところで、メティカフさんがいた収容所には、あの有名な映画「炎のランナー」で
主人公として描かれた、陸上の元オリンピック選手のエリック・リデルという人がいたそうです。
彼もまた、宣教師として中国で暮らしているうちに戦争に巻き込まれ、
民間人抑留者として捕らえられていたのでした。
メティカフさんや友人たちは、リデルが収容所の中で開いていた
バイブルクラスに出席していました。 
ある時、そのバイブルクラスで一つの議論が持ち上がったそうです。
それは、「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、
ただの理想かそれとも現実的な教えか、という議論でした。
少年たちの意見が「それは理想にちがいない。日本兵を愛することなどできるはずがない」
という結論に傾き始めた時、リデルが口を開きました。
「僕もそう思っていた。でも、イエスのそのことばには『迫害する者のために祈りなさい』
という続きがある。愛せなくても、祈ることならできるはずだ」。
そう教えるリデル自身、毎朝早く起きては日本のために祈っていたのだそうです。
敬愛するリデルの勧めに従って、メティカフさんは日本のために祈り始めました。
リデルはこう言っていたそうです。「憎む時、きみはきみ中心の人間になる。
祈る時、きみは神中心の人間になる」
ですが、日本と日本人のために祈っても、日本兵の振る舞いは変わらなかったそうです。
しかし、それを見ているメティカフさんの心の中には変化が生じていきました。
目に映ることは相変わらず受け入れがたい。
しかし同時に、(この人たちは、命の価値というものを知らないのだ)と
理解することができるようになりました。
この思いはやがて、宣教師となって日本へ行き、
神の愛を伝えたいという祈りに発展していきました。
メティカフさんは25歳になったときに、宣教師として日本へ派遣されました。
日本に彼を運んできた船には、朝鮮戦争に向かうイギリス兵もたくさん乗っていたそうです。
ある日曜日、一人の将校がやってきて、兵士たちに話をしてやってほしいと言われた。
十八歳から二十歳くらいの若い兵士たちに向かって、メティカフさんはこう語りかけました。
 「あなた方は銃を持って平和をつくろうと韓国に向かっている。私は聖書を持って日本に向かっている。戦争は終わったが、日本にはまだ平和が訪れていないからだ。私は日本人に聖書を教えたいと思っている。イエス・キリストが平和の君であられるから」
 この信念をもって、それからの三十八年間、メティカフさんはどんな苦労もいとわず、
日本各地をどんな田舎でも訪れて、イエスキリストのことを伝え続ましたけた。
 「イエスは、『平和主義者は幸いです』とおっしゃったのではなく、『平和をつくる者は幸いです』とおっしゃったのです」と、メティカフさんは語ります。
 そして「平和をつくる者」とは「祈ることによって神との平和をつくる者」だと語ります。
平和についての講演会を企画することにも、デモをすることにも意味はあるでしょう。
しかし、神との平和を求めず、その結果、身近な人との平和も得ることができないまま世界平和を論じたり、あるいはただ怒りに駆られてデモをしたところで、果たして本当に平和をつくることができるのでしょうか。
そのように、メティカフ宣教師は問いかけます。
「しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、
どうして聞くことができるでしょう。」ローマ 10:14
宣教師として生き、まもなく80歳になるメティカフ宣教師の話を
いつか、もっともっと聞きたいと思いました。
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投稿者:uchimura_it|Comments (0)

コメント

  1. しのッテ より:

    a-men 胸の内に燃えるものを感じました。
    あのリデルさんの生の横顔を知れたのも新鮮でした。
    今朝も早天のとき皆でウッティー師のために祈りました。
    これからも宣教の働きのために祈ります。

  2. kobaken より:

    驚きました。実は、今さっき、この本を貸してもらったばかりです。しかも、OMFの元宣教師で日本で30年間働いたデビッド・ヘイマン先生から。彼の親も中国での宣教師だったそうです。
    日本は、多くの国のクリスチャンに祈られ、宣教師によって福音を届けてもらった。本当に彼らの愛を思うと、言葉を失います。
    さっそく読んでみます。

  3. n より:

    私も平和を願いました。
    ちょうどアメリカでテロが起こった年の中学の卒業式に、世界が平和になってほしいと文章に残した事もあります。
    でも、キリストの十字架がなければ本当の意味での平和はこない。エペソ2:16
    それを力強く伝える宣教師の方達の働きに励まされます。

  4. uttie より:

    >しのッテ
    いつもお祈りありがとう。
    本当に、その支えを感じます。
    >kobaken
    それは本当に不思議なシンクロですね。
    是非、読後感も聞かせて下さい。
    >n
    コメントをありがとう。
    誰もが平和を愛しますが、
    平和をつくることは困難な仕事ですよね。
    その働きにつくことが出来るよう、祈ります。

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