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今日の仕事に、一段落をつけようかという頃に科長のMさんに声をかけられる。
「なかなかお話しできる時間がなくてすみませんね。uttieさんとは、じっくりと
コミュニュケーションをとりながら話を進めてゆきたいと思っているんです。」
科長のポストにありながら所内でも、最若手のMさんはとても物静かに話す。
「私の専門領域は、情報技術ですから美術の基本的な部分は解らないのです。
お互いに、違う視点を大切にしながらその関連性を模索してゆきましょう。」
時々、とても頭の良い人に出会う。
そういう人は、例外なく言葉に対する洞察が慎重でそして、謙虚だ。
Mさんもまた、そういう人だった。
「いろいろ、伺いたいことがあったんです」
Mさんは、僕の過去の研究紀要をファイリングしていて
ところどころ赤線をひいたり、注釈を書き込んだりしていた。
「自分自身を知る体験」と「他者に対する興味・感心」とありますけど、
これらのつながりはどのようなものなのですか?
「苦手意識の克服」とはどのような手法なのですか?
「自分自身に対しての客観的な視点」とは、具体的には何を指すのか教えてください。
「美術の表現手法」は私自身、個人的な体験だと思っていたのですが
「他者と共有し、分かち合う」ということとどうつながるのですか?
僕は、ハンドジェスチャーを交えながらひとつひとつの質問をきっかけに
自分自身に問い直し、それをMさんに伝えることを試みる。
「なるほど、すこしづつ解ってきました。」
穏やかな口調でそう答える。
本当は、Mさんははじめから解っているのだ。
だけど、「解っているもの」という前提で綴られすぎている
僕の文章に、あえて「解らない」視点から検証を重ねているのだ。
大切なのは、「解っている」ことではなく「不明」なことだ。
僕の研究動機の源になっているものをくみ取り、潰すことなく、
僕自身にとって「不明」なことを気づかせようとしている。
その手法から、Mさんが、かつて優秀な教師であったことが伺えた。
Mさん自身が「情報技術」の教鞭をとっていた頃の実践を振り返ってこう語った。
「プログラミングとかって、つい近道を教えたくなっちゃうんだけれど
大事なのは、全てのエラーを体験させる事なんですよね。」
「(教えること)と(教えないこと)を見抜くことが、難しいんですよね。」
「なんか、たくさん話過ぎちゃったからよけい混乱したでしょう。
でも、たくさん考えた分だけやっぱり良い答えが出るんですよね。」
たしかに混乱していましたが、おかげですこし光がみえてきました。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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