午後はJIFHののカンボジアスタッフから届いたニュースレターの発送を完了させる。
その後、秋葉原でhiwa夫妻と合流して麻布のモンスーンカフェで夕食。
ゆったりとした時間を味わいながら真新しい一週間のことを考えた。
20000804
夏の夕方の蒼い時間は都会だったとしても好きな時間です。
今日も仕事を終えてから目黒へ行きました。
昨日とは別の研究室の飲み会に誘われていたのです。
最近の僕は、以前は意識的に避けていた仕事がらみの誘いもあまり断ったりしなくなりました。
今日も殆ど初対面の人達でした。その人達は皆仕事に対する姿勢が真摯で、人当たりもよく、
真面目でした。
かれらは以前から僕の仕事の内容にとても興味を持ってくれているようでした。
だから僕も、可能な限り丁寧に言葉を選び自分の仕事についての話をしました。
だけどそんな時には、いつも居心地の悪さをどこかに感じています。
自分自身の仕事を人に伝えながらそれは本当に僕の仕事なのだろうか
そもそも僕は何故こんなところにいるのだろう
そんな風に、他人の仕事や人生のことを誰かになりすまして語っているような気持ちに
突如覆われてしまうのです。
僕は自分のことが昔よりもわかります。
全てのことをゼロからはじめるのが好きで生み出たものに対して
何度も丹念に手を加えたり修正したりしながらたとえどんなに小さくても、
形にしていくことを愛します。
そしてそれをごく少数の心開ける人だけと分かち合うことに、このうえない喜びを
感じる人間なのです。
だけどどうやら、僕の仕事はある大きな流れを継承しその流れを変えることなく発展させ、
その成果を大々的に大勢の人に還元させることを求められているようです。
そして、なによりも組織の一員として、その仕事を完成させなければいけないのです。
組織の中では、ぼくは少しだけユニークな方法で仕事をしているように見られているようです。
だけど、そんなことはちっともユニークではないことを僕自身が一番良く知っています。
誰かの衣装を借りて、許される範囲で振り付けをアレンジしてダンスをしているだけなのです。
僕は人の期待に応えなかったりがっかりさせることが怖いのです。
そして僕は拍手をされない踊りをするのが怖いのです。
あるいはステージの幕が開いたとき観客がまばらなのが怖いのです。
今のステージは、無事に公演を成功させなければいけません。
だから、いまは誰かの手拍子でただ踊ります。
いつかは自分の創った衣装をまとう日のことを思いながら。
20000803
今日は目黒の研究室のお誘いで各地の日本酒を揃えた店で飲みました。
大して飲みたい気持ちではなかったのだけれど断る理由もなかったのです。
どちらにしろ、どこかで夕飯を食べるわけだし。
結局のところ、二次会のカラオケに途中まで付き合い22:37分新宿発の
ホームライナーに乗って帰途につきました。これがなかなか素敵な列車なのです。
500円の特急券を買うのですが、途中何処にも停まらずに
僕の目指す駅までただひたすらに西へ向かうのです。
サスペンションが普通列車と違うのか、滑るような乗りごごちで、
見慣れた車窓からの景色が違った色彩で流れてゆきます。
列車の中で、村上春樹の「国境の南・太陽の西」の文庫本を読みました。
8年前にハードカヴァーで読んだ本です。
最近では,新刊のノベルを次々に読み漁りたいという欲求は無くむしろ、
一度手にしたことがあって、好き嫌いは別としても自分の中に宿題のようにして
引っかかっているような本を検証し直すような気持ちで読みたくなるのです。
本のせいなのか、あるいはいつもと違うように流れ去る車窓の夜景のせいなのか
わからないのだけれど16才だったあなたのことを想い出しました。
過ぎ去った時間のことを想うと、なんだかカチコチに固まってしまった陶土を
手にしたような気持ちになります。
自分がおかした愚かな振る舞いのことなども想い出しました。
でも、それはかつて判断を誤ったというよりはむしろ僕という人間の
傾向や弱さの表れだったのだと今は思います。
10代のころから自分の本質は変わらないままでいつのまにか30代になっているのです。
固まった陶土は、もう一度集めて水に浸して土練機で練り直せば、新しい器に作り替える
ことが出来るけれど過ぎ去った時間はそういう訳にはいかないのを僕は知っています。
だから、今という時を記しておきたいと思うのかもしれません。
次に神宮の森や、新宿の高層ビルがよく見える高校の屋上であなたから手渡された
ノートのことを想い出しました。
「これからの時間を書き記し欲しい」と言って手渡してくれた
深緑のスェードの表紙のノートです。
その夕方の空気を思い返した瞬間不思議な時の摂理の謎が解け
まるで魔法のように過ぎ去った時間の感触が、ひび割れて固まった陶土から
あの柔らかなスェード表紙のノートの手触りへと変わってゆきました。
20000802
どんな一日でしたか?
こちらは今日もひどく暑かったのですが、これといって変わったことはありません。
南向きの部屋には障子を刺し通す強い日差が朝の5時前から部屋の温度を上ていきます。
そのせいで目が覚めるのだけれどコビは足下で腹を見せて大の字になって寝ています。
相変わらず緊張感のない猫です。
あとは耐熱式の珈琲サーバーを落として割ってしまいました。
同じ型の珈琲サーバーを探すのは困難なので、安くてミルもついていない
珈琲メーカを新たに買いました。
それと,一昨日から「ものもらい」を患ってしまい今日仕事場を抜け出して
(もちろん年休をとった)三楽病院の眼科へ行きました。
「ものもらい」ができたのははじめてです。
正確には麦粒腫(ばくりゅうしゅ)と言う名称だそうです。
病院ではひどく待たされたので,待合室で太宰治の「人間失格」を
鞄から取りだして読みました。
最近になって読み直したくなったので、角川文庫版の「人間失格」を 買ったんだけれど、
表紙がなんと望月さんの銅版画です。
太宰治に望月通陽の装画なんて不思議なとりあわせだよね。
でもこれが悪くないのです。
太宰の世界にどっぷり浸かった後、病院で目薬と抗生物質を処方されて職場へ向かったので
お茶の水の聖橋をとぼとぼわたっていると妙に斜陽感が漂いました。
太宰の世界を読むと何故か「くすっ」と笑っちゃうんだけれど昔よりもしっくりと染みこむようで
最近になってとても好きです。年をとったせいなんだろうか。
まぁ,仕事のほうも順調に進んでいます。心配はいりません。
それではおやすみなさい。
20000801
M神さんが主宰する「ものづくりにおける創造性の育成」と題された研修会を
朝からサポートする。
工業系の研修だから、未知の世界を覗くようで前から楽しみにしていた。
特許申請代行事務所の方を講師として招く。
工業所有権の基本的な部分から、アマゾン.ドット.コムのワンクリック特許や凸版印刷の
マピオン特許などの事例を交えた最新事情までのレクチャーは興味深い内容だった。
「オタク的な情熱を持った人材の創造性がもっと教育現場で尊重される
必要があるのではないか」という講師の意見に対し、出席者の中学校教員から
「じゃあ、どんな授業が望まれるのか?」という質問が出されていた。
「おいおいそれを考えるのが僕らの仕事じゃん。」なんて危うく声にだしそうになる。
午後は三鷹に移動して、東京電力の実験住宅展示場へ。
省エネを追求した、いわゆるエコハウスと介護者の立場から設計したバリアフリー住宅をみる。
最新のバリアフリーをうたった施設の設計を見るたびに
介護する側からの合理性が追求されすぎているように感じる。
例えば、ベッドから寝たきりの人をリフトで吊してトイレからバスルームまでぐるっと回って
入浴と排泄をすましてベッドに帰ってくる。
そんなパーフェクトな設備を見せつけられたりすると、
なぜかいつも腑に落ちないような気持ちになる。
要介護者はまるでコンテナーみたいだ。
自分はこんな設備の恩恵を受けるくらいなら早く地の塵に帰りたいと願ってしまう。
魂をおいてけぼりにした技術などいらない。
研修も無事終了し、M神さんのお誘いで武蔵境の「庄や」で乾杯
M神さんから、「ものづくり」が軽視されつつある切実な危機感や
今回の研修に対する思いが聞けてちょっと嬉しくなった。
「もの」が崇拝される時代から、それをつくりだす「ひと」や「おもい」が
もっと尊重される時代へと、少しでも変えていくことできればいい。
20000731
drop me a line
その言葉を初めて聞いたのはいつだったか。
たぶんアメリカの友人が別れ際に言った台詞で
とても面白い言葉だと思った。
「手紙くれよな」とか「電話でもくれよ」みたいな日常的な慣用句で、
きっとそれ以上の意味はないのだろう。
だけど、その言葉はなんだか、いつまでたっても会えない人のことを思い
その人からの唯一の通信手段となるような
たとえば糸電話のようなものを空からこちらへと
落としてくれるのを待っているようなイメージだ。
そんな訳で、今日も空を見上げおります
drop me a line
20000730
午後は「シュリ」をビデオで借りてきて途中まで見ながらうたた寝してしまった。
夕方は、hiwa夫妻が遊びに来てデリバリーのピザをつつきながらカクテルに酔う。
途中まで見かけていたシュリを一緒に見る。
彼らはもう3回目なんだそうな。
うーん、ハリウッドのテンポで韓国の映画
不思議な感じだけど、映画のエッセンスがふんだんで面白かった。
繰り返し観たくなる感じ。
のんびりとできた日曜日の午後
必要な休息
20000729
合宿中の美術部を訪ねて新潟のかぐらみつまたへ。
関越を北上しながら、久しぶりに東京を離れる感じが嬉しかった。
生徒達とも互いに再会を喜ぶ。
やっと本当の夏を実感。
日射しは強くても風は涼しい。
夜は、スキー場の駐車場で彼らと打ち上げ花火で遊んでから
さよならをした。
20000728
中間発表に向けて研究主題を確定するプレゼンは、述べ2時間を費やした。
「美術教育」とは何を目指すことなのか、自分はどんな授業の展開を創り出すことで
そのことを形にしようとするのか
そのことを明快に専門外の人へ向けて説明するのは
とても難しくて、十分に伝えきることが出来なかった。
とても頭のきれる人たちへ向けたことばだったのに。
練りに練ったレジメや、配付資料も作成したのに。
「美術」ということばが表すものを、いいあてた人は多分いまだにいない。
そもそもそんな言葉は、この国にはなかった。
明治になってやってきた[ fine arts ]という英単語を
当時の賢者が知恵を出し合って訳したのだ。
その当時「美術」は,[ 音楽・文学 ]も含んだことばだった。
いつも人に自分の思いを伝えるのに七転八倒する理由は
結局のところ、僕の使う「ことば」の問題なのだ。
幼い頃から,人と話すのは苦手だった。
ことばなんて信じられなかった。
絵の具や画用紙と出会ったおかげでことばのかわりに色や形を使って
自分のことを少しづつ語れるようになったんだ。
だからその解放感や喜びを、すこしでも続く世代に伝えたいんだ。
だから、いまは慣れ親しんで手のひらに馴染んだ画材のように
ことばを使いこなせるようになりたい。
べつに,「美術」だなんてよばれなくてもいいから。
20000727
小笠原時代の友人二人と中野で飲む。
ひとりはかつての同僚。
もうひとりはかつての教え子。
だけど、もう教え子とは呼ばないことにした。
24才といえば大人だし、「表現って何?」と、永遠の問いを求め続ける同士として付き合うよ。
だから、すこし厳しいことも言ったんだよ。
すごい才能を持っているのを知っているからさ。