19980513

5月13日は、横浜遠足だった。
秋の、修学旅行の練習を兼ねていたので、集合場所は羽田空港に朝10時。
偶然、空港の出発ロビーへ向かうエスカレーターで松が谷高校の水井先生に会った。
水井先生は神津島時代にお世話になったきりご無沙汰していた。
「島からこの4月に本土帰還した」とのハガキを頂いたので、昨夜、
そのハガキに記されていたメールアドレスにメールを送ったばかりだった。
こういう共時性ってよくあるな。
生徒達にとっては、青梅からはじめて「羽田空港」なるところに集合するのは
大イベントで、奥多摩の子達は片道3時間半かけてやってくる。
例のごとく遅刻続出で、担任団は苛つきと修学旅行本番への不安を表情に隠しきれなかった。
横浜は自由行動で、皆はじめての横浜を楽しんでるようだった。
山下公園に生徒達のチェックポイントを設け、そこに待機した。
武蔵村山高校の羽中田さんと氷川丸の前でバッタリ。同じく遠足だとのこと。
自由な時間ができたので、ひとり山下公園からタクシーを拾いみなとみらいの横浜美術館へ移動。
お目当ては「イヴォン.ラヴェール.コレクション展」
60年代以降の作品がらヴェールの収集の中心だ。
1番の収穫は、ナン.ゴールディンの「Selfportrait, All by my self1953-98」と題された
96枚の写真からなるスライドショー。
ナンの写真は以前から好きだった。少し退廃的な友人達のプライベートなポートレートを、
独特な色彩で切り取ってしまう。そんな視点を自分自身に向けた作品があったなんて知らなかった。
スライドショーはアーサ.キットの(コテコテの)唄[Beautiful at fourty]
(ナンの年齢に、はまってるに違いない)にのって展開する。
でも、決してノスタルジックにおぼれることなく、96点の写真は彼女の生涯を解き明かして行く。
アルコールの日々、ドラック漬けのパーティーシーン、時代ごとに変わる新しい恋人との幸福な笑顔、
破局を連想させる(恋人からの暴力の結果と思われる)殴打されたあとの自分の顔。
全てをさらけ出して行く自画像。
プライベートな記録であることを超越して、彼女の作品を受けとめずに入られなくなり、
以前よりナンの作品の強さの意味を理解した。
その足で、ランドマークタワーのギャラリーへ移動。荒木経惟の「A人生」と題された写真展を見る。
ナンの作品とシンクロナイズされてしまった。
この作品も紛れもなく「人生」を切り取り、投げつけてくる。
写真は荒木の妻「陽子」との新婚生活から始まる。寝台車での新婚旅行。
妻のオ-ガズムの表情、晴れた日に布団を干す姿、愛猫との暮らし、妻の病床、そして死。
それら荒木の写真が、妻の残した日記ともに時の流れを展開して行く。
妻の遺影と、お骨が自分の家に戻ってきてテレビの上に飾られている。
お骨に猫が寄り添い、その後、ただ空の写真が撮り続けられる。
喪失感だけが伝わってくる美しい空(くう)の風景。
そして、美しい花を撮り出すまでの過程を展示していた。
「私小説」だった。その力に泣かされそうになった。泣いた。
生徒を解散させるために、
集合場所の横浜球場へ向かわねばいけなかったので、足早に向かう。
道すがらの、桜木町の「動く遊歩道」を歩くときにも、今見せつけられた
作品の力に頭が痺れていた。
きっと天才にだけ許される「私小説」。
もう、日記を公開することなど辞めようと思った。

投稿者:uchimura_it|Comments (0)

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